梅田芸術劇場ネット会員限定プレイベント
- この秋、大阪、東京での開催が決定した、ウィーン版ミュージカル『エリザベート20周年記念コンサート~日本スペシャルヴァージョン~』。
6月19日(火)には、本公演を待ちきれない梅田芸術劇場ネット会員のために、限定800名を招いた「マヤ・ハクフォート&マテ・カマラス ライブ&トーク」が梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで開催された。当日は主演の2人がソロ&デュエットで全8曲を披露。中には『レベッカ』『キャッツ』からの楽曲も飛び出すなど、本公演では絶対にありえないサプライズな演出に観客も大興奮。
トークではマテが流暢な日本語で笑いを誘うと、すかさずマヤが「なんだか妬ましいわ!(笑)」と応戦。友人を公言する2人ならではの息のあった掛け合いに、会場は終始和やかなムードに包まれた。
その後も、感動と爆笑が交互に押し寄せ、一曲ごとに喝采と拍手が鳴り止まない展開に。
ここでは、そんなプレミア感満載なイベントの様子をダイジェストでお届けする。オープニングは迫力ある映像集からのスタート。
これまで世界11ヶ国で6,500回を超えて上演されてきた『エリザベート』。
舞台上の巨大スクリーンに、その20年の軌跡が各国の公演映像と共に次々と映し出される。ウィーン、オランダ、ドイツ、韓国、そして日本。
いずれの国も迫力ある歌とダンスが圧巻。俳優たちの迫真の表情が大写しされると2007年の“奇跡の来日公演”の感動がよみがえるようで、早くも感動に打ち震えてくる。
その後、重々しいイントロを合図に本編の幕が開いた。
- 1994年以来エリザベートを演じ続け、出演回数世界ナンバーワンを誇りながらも、今回の日本公演でエリザベート卒業を発表したマヤ・ハクフォート。
一方、『MITSUKO』に次いで6月27日(水)まで絶賛上演中の東宝版『エリザベート』でトート役を射止め、日本での活躍に弾みをつけるマテ・カラマス。
楽曲の合間に交わされトークでは、事前に寄せられたファンからの質問に加え、現在の心境などが語られた。
――日本公演でラスト・エリザベートを迎える心境は?
【マヤ】ここ数日いくつかの取材を受けるなかで18年間ずっと自分の傍らにあった作品について思いを巡らせていました。今とても満たされた気持ちでいます。
本作との出合いは、私の人生とキャリアに多くの学びと喜びを与えてくれました。
2007年の出会いを経て、最後にまた日本のファンの皆様の前に立てることを嬉しく思っています。エリザベートに出会えたことは私の誇りです。
――マテが初めて日本語で演じた『MITSUKO』は大きな挑戦だったのでは?
【マテ】(日本語で)2007年初来日のとき、関係者に「日本の作品に出たい!」といったら「マテ酔っ払った?」ってちょっとびっくりしてたね。
その時、いつか日本語でトートを演じますと考えていた。今夢がかなって最高ですね~(笑)。コンサートまで時間があるので、日本語もっと上手くなります!
――マヤさんは、マテの東宝版『エリザベート』はご覧になりましたか?
【マヤ】おととい観劇しました。感動して2人で10分以上泣きながら抱き合いました
。
07年からどれだけ彼が日本の舞台に立つことを望んでいたか、またそれがどれだけ険しい道であるかを知っていたので。
今舞台に立てている現実がどれほど素晴らしいことか! 本当に感動したし、彼を誇りに思いました。
――マテにファンから質問です。ずっと日本にいてほしいので、日本女性と結婚してはどうですか。
【マテ】顔…赤いですか? ヨーロッパ人にとって日本人女性のメンタリティーは非常に魅力的です。
中でもぼくは特に、日本人女性に惹かれるタイプのヨーロッパ人です。会場にいる全員にチャンスがあるかって? それはちょっと、多すぎ…かな(笑)
- 他にも、マテが演出家の小池修一郎から指摘を受けダイエットに励んでいたことや、理想の女性像がハリウッド女優のグレン・クローズであること。
また、多くのトート役と共演したマヤがマテのトートについて聞かれ、思わず爆笑する場面が見られたり(笑えるほど自分と一心同体な感覚があるのだとか)。
飾らない2人の人柄に触れて、観客も大満足な様子だった。
最後は『愛のテーマ』でお別れ。「今こそ迎えよう、黄泉の世界へ」「連れて行って、遠く闇の彼方へ…」。
2人が永遠の契りを交わす愛と死のナンバーを歌い上げると、会場は割れんばかりの拍手と喝采に包まれ、イベントは大盛況のうちに幕となった。
確かな表現力と存在感で瞬時に観客を作品世界へと引き込むマヤ。
観客1人ひとりと視線を合わせるように客席に身を乗り出し歌う姿が印象的だったマテ。
プロフェッショナルな2人の共演に酔いしれた90分。
幾度かのカーテンコール後も、観客の興奮は覚めやらぬ様子で…。
終演後のロビーで口々に感想を述べ合う彼らの姿が、何より雄弁にイベントの成功を物語っていた
(取材・文/石橋法子 撮影/岸隆子)